[開催報告]島嶼国で「ゼロマラリア」実現へ 日本の支援策を探る
勉強会「島嶼国におけるマラリア対策最前線
パプアニューギニアにおけるマラリア戦略」の報告
島嶼国で「ゼロマラリア」実現へ 日本の支援策を探る
アジア太平洋地域における米中対立が激化する中、安全保障上の重要性が高まるパプアニューギニア。同国は南東アジアおよび西太平洋地域で最もマラリアが流行している国の一つです。
マラリア・ノーモア・ジャパンは12月3日、同国の保健次官を招き日本からの支援の可能性を考える勉強会を衆議院第1議員会館で開催。日本の政治家や専門家、研究者らが参加し、パプアニューギニアの現状や今後の対策について意見を交わしました。
高い感染リスクに直面するパプアニューギニア
世界保健機関(WHO)が公表した「世界マラリア報告書2023」によると、2022年のマラリア患者数は、世界全体で前年より500万人増加した約2億4900万人。殺虫剤処理された蚊帳(ITN)や抗マラリア薬といったWHOが推奨するマラリア対策の普及が進んだにもかかわらず、罹患率と死亡率は高止まりの状況です。殺虫剤への耐性をもつ蚊や薬剤耐性を備えたマラリア原虫の増加、気候変動や災害、紛争などによる人道危機、そして資金不足などが原因とされています。
アジア太平洋地域で最もマラリアが流行している国の一つが、パプアニューギニアです。マラリア・ノーモア・ジャパンの神余隆博理事長は冒頭のあいさつで「2022年には西太平洋地域のマラリアの患者数の90%、死亡者数の94%を占め、同国の死因の10位以内に入っている。このような観点から、2030年までにゼロマラリアを達成する上で重要な国として注目している」と述べました。
それに続き、超党派の国会議員でつくる「2030年までにマラリアをなくすための議員連盟(マラリア議連)」の古川元久幹事長(国民民主党衆議院議員)は、パプアニューギニア政府が2024年6月に開催した第8回ゼロマラリアに関するアジア太平洋首脳会議について触れ、「マラリアの負担軽減に向けた積極的な取り組みに敬意を表する」と言及。日本政府に対しては「国際的な連携を強め、日本のリーダーシップによる適切な感染症対策を推進すべき」と強調しました。
米中対立の最前線 戦略的重要性高まる島嶼国地域
パプアニューギニアを含む太平洋島嶼国地域は近年、安全保障上の観点からその戦略的位置づけが高まっています。マラリアに関する議論の前に、安全保障の専門家である慶應義塾大学の神保謙教授からその背景について説明がありました。
世界の海上交通の要衝である太平洋島嶼国地域。神保教授によると、同地域の排他的経済水域は2500万平方キロメートルと日本の約5.6倍で、海底資源の推定埋蔵量は1500億トンを超えるといわれています。「中でも液化天然ガス(LNG)や鉱物資源が豊富なパプアニューギニアは、太平洋島嶼国地域で経済的・政治的に大きな影響力を持つ」と説明、こうした戦略的な価値があるからこそ「米国と中国との対立の影響がこの地域に大きな影響を及ぼしている」と指摘しました。
中国の影響力の拡大を示す例として注目されるのは、中国からの圧力による「断交ドミノ」です。2019年にソロモン諸島とキリバス、2024年にナウルが台湾と断交し、中国と国交を樹立。神保教授は「キリバスでは2021年に滑走路改修のインフラ投資を中国が進め、多くの専門家がその将来を不安視している」と話します。さらに中国がソロモンと2022年に安全保障協定を、翌年に警察協力協定を結んだ例を挙げ、「中国は島嶼国地域で経済的な影響力を強めるだけでなく、安全保障上の関係の構築を進めている」と主張しました。
こうした動きに警戒を強めた米国は、23年にパプアニューギニアとの防衛協力協定を締結。同年12月には豪州も同国と安保協定を締結しました。ところが24年1月、中国がパプアニューギニアに対し警察の訓練や装備、技術提供の提案をしたことが明らかとなり、中国の提案を拒否するよう米高官が警告する事態へと発展しました。
「グローバルヘルス」に注力 島嶼国での日本の役割
米中の対立が深まる太平洋島嶼国地域ですが、同地域では日本も長年にわたり存在感を示してきました。歴史的にも関係の深い日本は1997年から3年ごとに島嶼国の首相らを日本に招き「太平洋・島サミット(PALM)」を開催。2024年7月に日本で開催された第10回PALMで採択された首脳宣言では、重点分野の一つ「人を中心に据えた開発」の中でマラリアを含む感染性疾患などに取り組むことが明記されました。それはつまり、地球規模の保健課題「グローバルヘルス」への取り組みを意味します。
今やグローバルヘルスは世界の課題と認識されていますが、その始まりは19世紀の植民地支配下で黄熱病などの感染症に対処するための植民地医学でした。内閣感染症危機管理統括庁の日下英司内閣審議官によると、世界の保健医療課題に対して国家間での協力が強調された戦後直後の時期を経て、2000年のミレニアム開発目標(MDGs)や2016年の持続可能な開発目標(SGDs)を策定する過程で、途上国だけではなく先進国も含めた課題とする観点が生まれました。「最近ではエボラ出血熱、新型コロナウイルスといった感染症が世界中に広まり、パンデミックの予防や対応に世界全体で取り組む機運が高まっている」といいます。
感染症対策が外交課題として注目されたのは、日本が2000年に開催したG8九州・沖縄サミットです。日本の主導で「沖縄感染症イニシアチブ」がまとめられ、2002年には主要国が資金を拠出する「世界エイズ・結核・マラリア対策基金」(グローバルファンド)の設立につながりました。日本政府も出資する同基金は、途上国におけるエイズ、結核、マラリアの3大感染症への対策や保健システムの強化のために資金協力を行い、2023年末までに6500万人の命を救いました。
「さらなる支援を」パプアニューギニア保健次官が訴え
今回の勉強会のために来日した、パプアニューギニアの保健次官を務めるオズボーン・リコ博士。同国でのマラリアの現状を説明し、日本からの支援を求めました。
パプアニューギニアの2023年のマラリア患者数は93万5千人と、人口の約8%にのぼります。リコ博士は「グローバルファンドなどの支援によって2015年までマラリアの患者数は減少傾向だったが、ここ3年間で急増した」と明かし、理由の一つに長期残効型殺虫剤処理蚊帳(LLIN)の効果の低下を挙げました。標高1600メートル以上の高地を除く同国全土でマラリアが流行しており、「気候変動によって気温が上昇し、マラリアを媒介する蚊の生息地域が広がっている」とも指摘しました。
リコ博士によると、政府のマラリア対策にも課題があります。国土の総面積は約46万平方キロメートルと日本の約1.25倍、約600の島を抱え800以上の言語と1000以上の文化を持つ同国では、22州ある州ごとに医療システムが分散しており、各地域で保健衛生分野に精通した人材が不足しています。資金面も厳しく、同国の保健医療分野への支出は国内総生産(GDP)の2.1%。そのわずかな恩恵も人口の2割しか享受できず、8割が住む遠隔地には支援が届きません。地域でマラリア対策を担うボランティアへのインセンティブも限られます。
日本はパプアニューギニアが独立した1975年以降、途上国援助(ODA)を通じて同国の発展に貢献してきました。リコ博士は日本に対する要請として「天井型の長期残効型殺虫剤処理蚊帳(LLIN)や迅速診断キット・顕微鏡検査の導入、村落保健支援プログラムの支援、専門人材の派遣」を列挙。同国保健省が策定した国家健康計画に基づき、「2030年までにマラリアを排除した場合の経済的利益は12億ドル。7000人以上の命を救い、360万人をマラリア罹患から守れる。投資収益率は91%」と説明し、「日本の皆さまや他のパートナーからの支援によってマラリアをなくしたい」と強く訴えました。
今後の期待として、両政府の間5年間にわたる包括的な公衆衛生協力のための覚書(MOU)の締結について触れました。
天井式蚊帳を展開し、マラリア排除を目指す
リコ博士が言及した天井型の長期残効型殺虫剤処理蚊帳(LLIN)について、かつてバヌアツ・アネイチュウム島でマラリアの撲滅に成功した大阪公立大学大学院医学研究科の金子明特任教授から説明がありました。
住友化学株式会社が開発した「オリセット®プラス」は、既存の防虫剤の殺虫効果を高める薬剤を加えることで、殺虫剤に耐性を持ったマラリア媒介蚊にも効果を発揮するLLINです。これを天井式に応用すると、部屋全体が蚊帳で覆われ、壁と屋根の隙間から蚊が室内に入るのを防ぎます。「従来のベッドでの使用を想定した蚊帳に入らずに、床にマットを敷いて寝ることが多い子どもの感染リスクを軽減できる」といい、「扉から蚊が入ったとしても吸血後に天井にとまった際に死滅する」ため、次の感染を防ぎます。
マラリアが流行するケニア・ビクトリア湖周辺地域を2012年から調査拠点としてきた金子特任教授は、2020年から日本と現地の研究機関が共同研究をする「地球規模課題対応国際科学技術協力プログラム」の枠組みで、同地のムファンガノ島を舞台に天井式蚊帳(LLIN)の効果を検証しました。その結果、「住民一人当たりの年間のマラリア感染発症数が半減、屋内のマラリア媒介蚊の数も抑え込んだ。住民の許容度も高かった」と評価。現在は、マラリア治療薬の中心的化合物のアルテミシニンに対する耐性を持つマラリア原虫が蔓延しているタンザニア・カゲラ地域で天井式蚊帳(LLIN)の検証試験を進めています。
金子特任教授は勉強会に先駆けて2024年10月、マラリア・ノーモア・ジャパンとともにパプアニューギニアを訪問し、同国保健省や研究機関、現地のNGOらと支援のあり方について協議しています。「住民主導の包括的アプローチを構築し、そこに天井式蚊帳(LLIN)を組み込めれば」と、同国への試験展開について前向きな姿勢を示しました。
最後に金子特任教授は、WHOが推奨する世界初のマラリアワクチンRTS,S(2021年WHO認証)と、2番目のワクチンR21/Matrix-M(2023年WHO認証)について触れました。アフリカを中心に導入が進んでいますが、「誰も魔法の弾丸(特効薬)だと言っていないことが重要」と話し、「マラリアの排除には、ワクチンや治療薬、蚊帳といった蚊の予防策や治療を組み合わせた多角的なアプローチが必要」と強調しました。
参加者からのコメント
勉強会の最後に、3名の参加者からコメントをもらいました。一人目は2024年11月まで在パプアニューギニア日本国大使館に赴任していた渡邊信之・前特命全権大使です。「パプアニューギニアには米国や豪州、ニュージーランドといった伝統的なパートナーがいるが、日本とも引き続き良い関係を築いてほしい」と語りました。
「グローバルファンドは2023年から2025年の間にパプアニューギニアの三大感染症対策に7700万ドルを支援し、その約半分はマラリア対策に充てられている」と話すのは、公益財団法人日本国際交流センター理事長で、グローバルファンド日本委員会のディレクターを務める狩野功氏です。現在は「世界の課題よりも国内問題が優先と考える内向きの流れがある」と危機感を示し、低・中所得国が必要とする資金がグローバルファンドによって安定的に調達されることは大事として、同議連の議員に対して日本政府による確実な拠出を求めました。
「オリセット®プラス」を開発した住友化学株式会社からは、生活環境事業部主幹、石渡多賀男氏が来席。「既存技術を使った新たな用途(天井式)への展開は、即効性のあるイノベーション」と評価し、「現在ケニアとタンザニアでトライアルしている事業をパプアニューギニアでも取り組めれば、アジア太平洋地域での今後の展開に向けた貴重な知見が得られる」と期待を示しました。
公務の間を縫って参加したマラリア議連の松本剛明会長(自由民主党衆議院議員)は、「官民学の力を合わせてマラリア対策に取り組みたい。そのつなぎ役となるマラリア議連も党派を超えて全力を尽くす」と力を込めました。
勉強会の最後に、リコ博士を勉強会に招くにあたり多大な協力を賜ったアジア太平洋リーダーズ・マラリア・アライアンス(APLMA)の戦略担当エグゼクティブ・バイスプレジデントのシャビエル・チャン氏があいさつをしました。今日の議論から3つの重要なポイントを強調した上で、「APLMAは、パプアニューギニアと日本の戦略的協力協定の締結も視野に、両国の関係強化によるマラリア対策推進に向けて支援を続ける。 官民両セクターのパートナーシップの機会を探り、パプアニューギニアの健康と経済の繁栄に貢献したい」と締めくくりました。
勉強会「島嶼国におけるマラリア対策最前線 パプアニューギニアにおけるマラリア戦略」
- 開催日:2024年12月3日(火)12:00〜13:30
- 会場:衆議院第1議員会館 第5会議室
- 言語:日本語(同時通訳あり)
- 主催:認定NPO法人 Malaria No More Japan
- 協力:2030年までにマラリアをなくすための議員連盟(マラリア議連)、公益財団法人 日本国際交流センター
- 後援:大阪公立大学、グローバルヘルス市民社会ネットワーク(GHネット)
- 協賛:アジア太平洋リーダーズ・マラリア・アライアンス(APLMA)
EVENT SCHEDULE
司会:長島美紀(Malaria No More Japan理事)
開会の挨拶
神余隆博 (Malaria No More Japan理事長、関西学院理事、関西学院大学教授・学長特別顧問)
2030年までにマラリアをなくすための議員連盟より挨拶
古川元久 衆議院議員(2030年までにマラリアをなくすための議員連盟幹事長、国民民主党代表代行)
発表
- ・「太平洋諸国及びパプアニューギニア 安全保障上の重要性」神保謙(慶應義塾大学総合政策学部教授)
- ・「グローバルヘルスと我が国の安全保障」日下英司(内閣官房・内閣感染症危機管理統括庁 内閣審議官)
- ・「パプアニューギニアと日本の協力による公衆衛生の強化」オズボーン・リコ 博士 (パプアニューギニア保健次官)
- ・「パプアニューギニアのマラリア制圧」金子明 (大阪公立大学大学院医学研究科特任教授)
議員・参加者からのコメント
- ・渡邊信之(前パプアニューギニア駐箚特命全権大使)
- ・狩野功(公益財団法人日本国際交流センター理事長、グローバルファンド日本委員会ディレクター)
- ・石渡多賀男(住友化学株式会社生活環境事業部主幹)
- ・松本剛明 衆議院議員(2030年までにマラリアをなくすための議員連盟会長、前総務大臣)
閉会の挨拶
シャビエル・チャン (アジア太平洋リーダーズ・マラリア・アライアンス(APLMA)戦略担当エグゼクティブ・バイスプレジデント)