蚊を減らしコメを増やす。求められる新たな対策ー国際会議「サブサハラアフリカにおける稲作振興とマラリア対策」の報告
7月19日、国際会議「サブサハラアフリカにおける稲作振興とマラリア対策」(マラリア・ノーモア・ジャパン主催)が、参議院議員会館で開かれました。アフリカのサブサハラ(サハラ砂漠以南)地域で広まる稲作が、マラリアの感染リスクを高めているという最新の文献調査の結果を受け、専門家や支援機関の関係者が議論、今後の対策についての提案や関係機関への働きかけを確認しました。その概要をご報告します。
サブサハラ地域での稲作と新たな課題
サブサハラ地域では、人口増や都市化などを背景にコメの消費量が急増していますが、生産量が追いついていません。食糧価格が世界的に高騰していた2008年の「第4回アフリカ開発会議」では、「今後10年間でのコメ生産量倍増」の目標が盛り込まれました。これを受け、独立行政法人国際協力機構(JICA)などが設立した「アフリカ稲作振興のための共同体」による支援が本格化、同地域のコメ生産量は2018年までの10年間で倍増しました。ただ消費の伸びも速く、同地域のコメ自給率は48%(2020年時点)にとどまっており、今後もコメ増産とその支援は続く見通しです。
一方、新たな課題も浮上しています。稲作地域でのマラリア感染リスクが非稲作地域よりも高いことが最近の研究で明らかになり、感染を媒介する蚊の発生源である水田での対策が急務となっています。ただ現場では、水田がマラリア感染のリスク要因になっているという情報が十分に浸透していません。
そこでこの日の会議で最新の調査結果や、稲作地域でのマラリア感染予防の具体策を共有することになりました。
超党派の国会議員でつくる「2030年までにマラリアをなくすための議員連盟」の松本剛明会長(自由民主党衆議院議員)は、会議冒頭のあいさつで、従来の稲作振興支援について「現地の暮らしや(日本の)国際的なポジションを引き上げる役割を果たしてきた」と評価。その上で「リスクの度合いをしっかり見極めるためにも、研究成果を拝聴し対応したい」と述べました。
最新の知見が示す「水田のパラドックス」からの転換
英ロンドン大学衛生・熱帯医学大学院のジョー・ライン教授とカリスタ・チャン研究助手が、サブサハラ地域での稲作とマラリアの関係について解説しました。
感染予防策の普及に伴い、アフリカでの年間マラリア死者数は20年前と比べて約50%減りましたが、サブサハラ地域の死者数は世界全体の9割を占め、依然深刻な状況が続いています。その理由として、①現地に多いマラリア原虫の高い致死性②脆弱な医療制度③人からの吸血を特に好むマラリア媒介蚊(ガンビエハマダラカ)の特性ーなどがあがっています。
ガンビエハマダラカは、水が張られて間もない水田のような、新鮮な淡水がたまった場所で繁殖するので、水田面積の増加は媒介蚊の増加、ひいては感染者数増加につながると考えられていました。しかしながら、2000年初頭の研究で、稲作地域の方が媒介蚊の数が多いにも関わらず、感染件数は非稲作地域とほぼ同じか、もしくは少ないことが分かりました。
当初の予想に反する結果から、この結果は「水田の逆説」(Paddies Paradox)と呼ばれ、稲作による農家の所得向上や、過去の感染による免疫の獲得などが、稲作地域のマラリア感染を抑制している可能性を示唆する仮説として、この20年ほど支持されてきました。
ところが、マラリアの予防対策が本格化した2003年以降は、稲作地域の感染件数の方が非稲作地域より多いことが最近の研究で明らかになりました。
従来の「逆説」を覆す結果の理由として、ライン教授は「この20年で医療体制が整い、蚊帳や殺虫剤も普及し、稲作地域とほかの地域との貧富の差もなくなり、平等になった」と指摘、予防策の普及で地域間格差が解消されたことで、稲作とマラリアの関係が顕在化したとする見方を示しました。
最新の知見を踏まえ、チャン研究助手は水田でのマラリア媒介蚊の繁殖を抑える具体策として、殺幼虫剤の散布や、媒介蚊の幼虫を食べる魚の水田養殖、田んぼへの灌漑と排水を繰り返す「間断灌漑」などを紹介。経済性や持続性、環境への影響などを勘案しながら「短期的な介入と長期的な介入を組み合わせる必要がある」と述べました。
「医療や教育もパッケージにした農村開発を」。専門家らが意見
最新の知見報告を受け、2人の研究者からコメントがありました。
大阪公立大学大学院医学研究科の金子明特任教授は「アフリカにおける水田稲作とマラリア伝播の関係性を明確に示している」と、ライン教授らの報告を評価。乳幼児のマラリアの発症と稲作との関係や、無症状感染と稲作との関係についても「検討の必要がある」と述べました。また、水田での媒介蚊発生を抑制する方法として、農民向け啓発プログラムや、農民主導のボウフラ・モニタリングを提案しました。また、「海外援助による農業形態はアフリカの生物多様性を失わせる方向に働き、貧困からの脱却にも寄与してこなかったと指摘されている」として、コメ等の単一作物による農業開発支援策への再考にも言及しました。
長崎大学熱帯医学研究所の皆川昇教授は、金子特任教授の指摘を「非常に重く受け止める必要がある」と述べたうえで「対策をとるにしても、一つのアプローチだけではなく、いろいろなアプローチが必要。マラリア対策も幼虫や成虫の対策、蚊帳の普及、無症候性の感染対策と、いろいろな面から考える必要がある。農村開発も、農業だけでなく医療や教育もパッケージにした対策を考えなくてはいけない。その意味で今日の報告は『多様性』がキーワードになると思う」と述べました。
続いて、同地域の稲作振興を支援してきたJICAの井本佐智子理事が、現状と今後の取り組みについて展望を述べました。従来の稲作振興の支援でとられてきたマラリア対策は「限定的だった」と評価。今後は「現場レベルで、農業、保健の双方から農民を交えて認識を共有するところから始めるべき」と話しました。
一方で、稲作が農民の収入向上をもたらし、網窓、蚊帳、殺虫剤などへのアクセスを促進したとも指摘。「ベネフィットとリスクをしっかりと考えて今後の取り組みを強化したい」として、JICA支援先の政府マラリア対策関係者や、現地のコメ農家との情報共有や認知向上を働きかけ、地域の実情に合った対策につなげる考えを示しました。
議論の後、マラリア・ノーモア・ジャパンの神余理事長は、稲作振興とマラリア対策の両側面からの対策を求める「要望書」を、同議連のメンバーに提出。松本会長のほか、阿部知子副会長(立憲民主党衆議院議員)、古川元久幹事長(国民民主党衆議院議員)、熊野正士事務局長(公明党参議院議員)が受け取りました。
要望書の内容は次の通りです(要望書全文はこちら)。
1.JICAによる稲作振興事業において、気候変動による影響も含め、生態系や環境変容が引き起こすマラリア流行リスクを調査・モニタリング・評価し、必要な対策を組み込むこと。
2.水田稲作推進拡大により、新たにマラリアの突発的流行が予測される地域に対し、PPR(予防、備え、対応)を強化し、ヘルスセキュリティを確保すること。早期の事前警報システム整備や感染対策(診断、治療、ベクターコントロール)を行うこと。
3.蚊の発生抑制のための稲栽培技術の開発に取り組むため、農業振興とヘルスセクターの共同研究に関する包括的なプログラムを確立すること。
注:記事での「稲作」は、主に水稲栽培を指しています。